男のドリョー

松本清張に『張り込み』という短編があり、この作品で容疑者の夫として登場する男が強烈に印象に残っている。
この男、毎朝同じ時間に出勤して残業せずに同じ時間に帰ってくる。飲み会をして遅くなるということも皆無。いつも同じ時間に夕食を食べ、いつも同じ時間に寝る。趣味は特に無し。
くわあ、面白みゼロだ、こんな男が身近にいたら絶対友達になれない。話題があわなそうだもの。プロレスとかパンクとか見なそうだし、『星の王子様』の飲兵衛の章を繰り返し読むなんてこともしてなそう。「クロマニヨンズってブルーハーツのドラムとベースが変わっただけでしょ?」とか言いそう。同性から見ても全く魅力を感じられない人物である。
さらにこの男、もんのすごくケチなのだ。
収入は自分で管理していて、妻には毎日千円を渡すだけ。この他には慶弔でもない限りびた一文家には金を入れないのだ。妻はなけなしの千円で子供含めて一家の食事・生活費をやりくりしている。金は無いし夫が決まった時間に帰ってくるので隣近所や古くからの友人と遊ぶことは皆無の日々。。。
うわあ、やだやだ。こんな生活したら息が詰まってしまう。私が女性なら絶対こんな男とは結婚したくない。

最近ウクレレ仲間で専ら「モテない男はケチである」という命題が酒の肴になる。全くその通り。「今日はせっかくだから美味しいもの食べよ!」と張り切ってる時に彼氏に「あっ、じゃあ張り切ってるキミが6割払ってね」とか言われたらがっかりするでしょう?同性から見てもガッカリである。

話は変わって、
プラトンはその著書『国家』で、全国民が清く正しく生きれば理想国家が出来上がると説いた。だがその国家で標榜される人間像を突き詰めて議論すると、杓子定規で義理も人情も感情も無い社会機能に徹するだけの生き方が答えとして出てくる。例えば、正しい知識を持つエリートを教育機関が育成し、民衆を導くべきである、酒飲み音曲酔狂はこれを排除すべきである、みたいな。
『国家』が書かれた理由は当時のギリシアの社会情勢とか時代背景が関係しているので簡単に評価してはいけないが、理想の人物像については、はっきり言って「つまんない人」である。そんな理路整然と正論言われても、ねえ。。
学生時代「人間、素直になることが大事デス。素直に受験に向けて勉強シテクダサイ」という言葉を金科玉条の如く振りかざす教師がいたが、すんごく嫌だった。一方で印象に残っているのは左右の靴が時々違っていた先生や酔っ払った先生、シモネタ先生、白衣+短パンの古文教師、エトセトラ・エトセトラ。やっぱりどこか「外れて」いる人の方が魅力的だ。ちなみに「素直に勉強シナサイ」の先生、今教頭になっているらしい。嗚呼、わが国の教育に危惧。
愛する人に気前よくお金を使って、モラルはあるけどちょっと規範からずれてる人のほうが魅力がある。
愛する人に気前よくお金を使えて、ちょっとのマナーと共に自由奔放であるために、毎日せっせと銭を稼ぎながら色んな価値観に触れていたいと思う。なんちゃって、ピース!