一億総マツオ化

例えばプロ野球日本シリーズでリポーターが松岡修造だったら、野球ファンでなくても違和感を覚えるはずだ。
それなのにオリンピックでのリポーターが松岡修造であることに関して違和感を覚えないのは何故だろうか?
答えは簡単。視聴者には競技そのものの興味が薄いから。競技を見ることよりも日の丸を背負った選手の勝利や競技者のサクセスストーリーを見ることの方が目的だから。
専門家ならではの経験に裏付けられた的確な解説よりも、選手の一生懸命さを伝え、頑張ることの大切さを伝え、選手に感情移入させてくれる応援団長の方がスポーツ観戦にとって重要なのだ。

そうしたスポーツの見方について誰かに是非を問おうとは思わない。(まあ北京五輪で「こんな硬い石畳の道をマラソンするなんて選手の負担は相当ですよ」とマラソン選手でない松岡修造に言われて、納得してどうする?とは思ったけどさ。)

言いたいのは今回のオリンピックでも最も視聴率の高いニューズ番組で松岡修造がオリンピックのリポーターをしているという事で、それはつまり、日本人のオリンピック観戦におけるメンタリティーを具現化したものが松岡修造という実態である。

そのことを考えると思わず殴られた時の天龍源一郎の顔真似をしたくなる。