猫楠

当方、誰が何を信じようと信じまいと構わないのだけれど、「俺は無宗教、非科学的なものは信じない」という人は、ちょっと苦手に感じる。というか、ハッキリ言ってしまうと「センス無ぇなあ」と思う。
科学(広く自然科学)というのは、ざっくり言えば、世の中の色んなわけのわからないことを理屈で以って説明付けていく作業だ。科学的探究は「わけのわからないもの」を認知するところから始まる。
ところが「非科学的なもの」を信じない人は「神とか仏とか、目に見えないものは信じない」と言う。「科学的に説明のできない、わけのわからないもの」の存在を全否定しているからだ。このとき、わけのわからない何かを知ろうという心は働かなくなってしまう。思考停止。
物事を明らかにしていく行為である科学を肯定しているのに、物事を明らかにすることを拒否するというこの矛盾。そしてこの自己矛盾に気づかないと言うこと。
つくづく、センス無いよなあ。
生きているのか死んでいるのか、明確に分けることのできない「粘菌」というものを生涯かけて見つめ続け、思考し続けた科学者、南方熊楠。飽くなき探求の背景にあったのは、少年の頃大蔵経で目にした輪廻転生の世界。熊楠は生死の無限のつながりが一体何であるのかを、粘菌の一生から明らかにしたかったのだという。
センスあるよなあ。
科学と宗教じゃあないけど、やたらと線引きするのは、ダメだよなあと思う。水木しげるの「猫楠」を読んで改めてそう思った。

猫楠 南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)

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