愛しの東林間

昔1年間だけ住んでいた街のことを思い出した。小田急江ノ島線東林間というところ。
東林間自体は急行の止まらない小さな駅だった。ロータリーの無い駅前にはこじんまりとした商店街が広がっていて、ブティックと呼ばれる婦人服屋、瀬戸物屋、スーパーみたいにいろいろ売っている八百屋、怖い車の止まっているサウナ、ホルモン焼き、飲み屋、洋食屋、和菓子屋、パン屋、ラーメン屋、カレー屋などがあった。
パン屋はガラスケースにパンを陳列した昔ながらの店構えで、小柄なおじいさんと無愛想なおばあさんが営んでいた。「おばあさん、ここいつからやってるの?」「そうね、かれこれ40年」
飲み屋は道端で焼き鳥を焼いていて、一本から売ってくれた。旨そうだったけど当時の私には金が無くて買えなかった。
ラーメン屋は「だし丸」という名前で、髭の大将が奥さんとやっている小さな店。鴨中華ととんこつラーメンがメイン、1日10食限定で塩ラーメンも出していて、どれもおいしかった。お祭りの日に彼女と二人で行って、金が無いから一杯だけ頼んだら卵が二つ入っていた。びっくりして顔を上げると大将「しーっ、内緒だよ」。
和菓子屋では息子夫婦に子供が生まれたらしくて、訪れる人が皆子供に声を掛けていた。孫ができたおばあさんはとても嬉しそうだった。
カレー屋はおばさんが一人で切り盛りしていて、行くと時々子供がテーブルで夕食を食べていた。カレーは、手作りでおいしかった。「じゃんご」という名前。
東林間から15分ほど歩くと小田急相模原駅に着く。銭湯があって、脱衣場ではテレビがつけっぱなしになっている。労働者風のおっさんがテレビに文句を言うと、まわりのおじいさんたちが賛同していた。私も心で「そうですよね、そうですよね」と頷いていた。しかし何のニュースだったんだろう?
アパートの前には夕方16,7歳の少年たちが来て、原付の改造をしていた。全員金髪で悪そうな格好をしていたけれど、人が通ると小声で「すいません」、よく見ると素直そうな眼をしていた。コーヒーでもおごってあげればよかったな。
夕方、鈍行列車に乗って東林間に帰ると車窓から暮れなずむ商店街が見える。踏み切りでおばあさんに抱かれた子供が電車に向かって手を降っている。空腹のあまりパンを齧っている部活帰りの男子。そんな風景が目の前に流れるたび、涙が出そうになった。
ある晩コンビニエンへ行く途中、「だし丸」が潰れているのに気付いたた。そういえばとなりのホルモン焼きも大将ががんでなくなったとか。住んでいる間に、商店街は少しずつシャッター通りになってきていた。
東林間に住み始めたのも、東林間から引っ越したのも今くらいの季節だ。そういえばウクレレを始めたのもこの街に住んでいる時だったな。
たった一年だったけど、金は無かったけど、思い出が一杯詰まった街だ。パン屋の老夫婦はご健在だろうか。原付の少年たちは夢をみつけただろうか。また行ってみたい。