ウクレレを教えることについて

年頭のヅル子さんに始まり、ここ数週間で何人かに「ウクレレを教えてほしい」と頼まれた。
正直ちょっと悩んでいる。
ウクレレに興味を持ってくれたことはすごく嬉しい。ウクレレはとっても自由で奔放で、悪く言うと聞かん坊で、底抜けに明るいと言うかちょっと間抜けているというか、でも物寂しさも知っていて、どんな弾き方をしても、いや、たとえ弾かなくてもいるだけで自分なりの応えを返してくれる、楽しさがいっぱいつまった楽器だ。この魅力は言葉では言い表せない。言葉で言い表せないから、手にとって奏でてもらいたい。だから私の演奏がきっかけで「弾いてみたい」と思ってもらえることはすごく嬉しいのだ。
けれど、「教えて」といわれると困ってしまう。
なぜかというと私のウクレレ奏法は一子相伝で派生を認めぬ厳しい教え。弟子たちのうち伝承者となるのはたった一人である。免許皆伝を得られなかった弟子はウクレレを辞めねばならず、さもなくば一生弦を押さえられぬ体にされてしまうからだ。
ええと、冗談はこれくらいにして、「教えて」と言われて困るのには幾つか理由がある。
まずは私自身教わったことが無いのでどう教えれば良いのかわからないということ。教則本を片手に好きな曲をコピーしながら身につけた技術なので、ほぼ亜流である。持ち方がおかしいし、指使いも滅茶苦茶。教えられることと言えば「好きな曲のコードを覚えて、弾きやすい弾き方で弾けばいいよ。あっ爪は切っておいてね」くらいのものだ。これじゃあレッスンが一回で終わってしまう。事実、次回ヅル子さんをレッスンする際、何を教えたらいいものか、はたと困っている。
それともう一つ。
ウクレレに対して生まれた興味を、私が俄か先生をやることによって消してしまうのではないかと懸念している。楽器って面倒臭いから、何か大きな動機がないと続かない。だが、ウクレレの魅力は気軽に始められる事だから、多くの場合動機は「楽しそうだから」くらいである(それでいいと思う)。なんとなくはじめた楽器の練習を持続させるには、ある程度、続けざるを得ない環境を作ることが必要。だから「ちゃんと教わりたい」ならきちんとレッスン料を払って、ウクレレのイロハを教えてくれる先生に師事したほうがいい。「気楽にやってればいいよ」と言われると、気楽にさぼることも出来ちゃうのだ。それでちっとも上手くならないのだ、私みたいに。
というわけで、最近ウクレレを教えていいものかどうか悩んでいる。