レッツ・ロック・アゲイン!

先週末、晩年のジョー・ストラマーを記録したドキュメンタリー映画を観た。

ジョーが亡くなってからもう5年が経つ。
初めてジョー・ストラマーという人名を聞いたのは97年夏、WOWOWでやっていた第1回フジロックの放送でだった。各バンドが演奏前にそれぞれ豊富を述べていたんだけれど、ハイロウズの時、甲本ヒロトが言った言葉が、
「がっ・・・楽屋に、ジョー・ストラマーがいました。・・・・十分です。以上」
というものだった。ヒロトが憧れる人、どんな人だろう?ジョー・ストラマーを知りたくなった。
クラッシュを初めて聴いたのは確か19の時。ベスト版みたいのをレンタルしたんだと思う。ライナーノーツを読んで、とっくの昔に解散したバンドだって事を知った。なあんだ、リアルタイムでは聴けないんだ・・・そう思ってがっかりしたのを覚えている。
しばらくして、ジョーがメスカレロスというバンドで活動を再開するというニュースを聞いた。ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスは3枚のオリジナル・アルバムを出して2002年にジョーが亡くなるまで活動した。私がジョーの音楽をリアルタイムで聴けたのはメスカレロス時代だけだった。そして今回観たDVDには、そのメスカレロス時代のジョーが記録されている。
クラッシュで世界に名をとどろかせ、何人ものミュージシャンに尊敬されているジョーが、自分のバンドのために営業活動をしていた。ラジオ局にアポ無しで押しかけメスカレロスをかけてもらい、路上で手書きのビラを配ってライブの呼び込みをしていた。「前回のアルバムは赤字だった。今回は何とか五分五分にもっていかないと・・・」
それでもジョーは前向きだった。ファン一人一人に話しかけ、何時間でもサインを書き続け、そしてステージに立った。クラッシュ解散後、11年もの間バンド活動から遠ざかっていたジョー。再びゼロからバンドを始められること、少しずつバンドの知名度を挙げていくこと、そしてバンド活動をできることに喜びを感じているようだった。
映画の最後にジョーは言う。「Let's Rock Again!」メスカレロスのメンバーとこれからもロックンロールを続けよう、そんな気持ちがあったんだと思う。けれどもしばらくしてジョーは心不全で亡くなった。
最後に”ジョニー・アップルシード”を演奏するメスカレロスが映し出される。バンドの真ん中で歌うジョー。それを観ていたらなんだか涙が出てきた。
ジョーの言葉「パンクはファッションでもスタイルでもない。パンクとはAttitudeなんだ。鋲付の革ジャンを着てギター掻き鳴らすだけがパンクじゃない」この言葉があるから、僕は胸を張ってウクレレでロックンロールしている。サンキュー、ジョー!
グローバル・ア・ゴーゴー

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