鬼太郎パンク

ここ数ヶ月で水木しげるの漫画を立て続けに読んだ。
墓場鬼太郎 (1) (角川文庫―貸本まんが復刻版 (み18-7))墓場鬼太郎 (2) 貸本まんが復刻版 (角川文庫)墓場鬼太郎 (3) (角川文庫―貸本まんが復刻版 (み18-9))墓場鬼太郎 (4) (角川文庫―貸本まんが復刻版 (み18-10))墓場鬼太郎 (5) (角川文庫―貸本まんが復刻版 (み18-11))墓場鬼太郎 6 (角川文庫 み 18-12)
水木しげるは変人である。太平洋戦争のラバウルで生き残り、貸本漫画時代を生き残り、昭和を生きぬき、平成19年になってもまだ生きている。「なまけものになりなさい」「このままでは餓死してしまう」「私はパラオ人になりたい」などのユニークな発言を繰り返し、突如「藪でぬりかべに遭った」と妖怪遭遇譚を語りだし、しゃべればしゃべるほど身体が斜めに傾く。盟友荒俣宏を「博学で不眠症」という理由だけで「妖怪アラマタ」呼ばわりし、一方で水木氏本人が妖怪なのではないかという噂が後を絶たない。80歳を越えた今、この噂もネタなのか真実なのかよくわからないことになっている。
ここに列挙した「墓場鬼太郎」シリーズにはそんな水木氏の変人っぷりが染み出ている。今「鬼太郎」というと「ゲゲゲの〜」のTVシリーズで、わりと正義の味方、地球環境の守り手としてのイメージが強められている。物の怪としてのおどろおどろしさはほとんどない。20年ほど前までの「ゲゲゲの鬼太郎」は水木氏の原作・原画に忠実で、子供番組であることを疑ってしまうくらい気持ち悪かったのだが(特に砂かけばばあ)。
さて、この「墓場の〜」シリーズはゲゲゲの鬼太郎が始まるよりも前、貸本漫画の時代に水木氏が書いた鬼太郎の最初の物語である。現在のアニメおよび漫画「ゲゲゲの鬼太郎」とは作風が明らかに異なる。まず水木氏独特の描画スタイルはまだ確立されておらず、墨で塗りたくったような画風が楳津かずおを髣髴とさせる。ただそれ以上に驚くのは鬼太郎および目玉の親父を中心とする妖怪たち(正確には作品中、鬼太郎は幽霊族の末裔、ねずみ男は何百年も生きている人間とされている)の無気力っぷりである。
幽霊族の末裔として生まれた鬼太郎、鬼太郎を護り、種を絶やさないため身体が朽ちても目玉だけで生きている親父。これだけの設定があれば普通、鬼太郎が危機を乗り越えながら幽霊族として成長していく姿や、種の存続のために人間や魑魅魍魎と闘う姿を書こうものである。ところがどっこい、墓場シリーズの鬼太郎にはそんな気持ちさらで無し。家賃を滞納して住処を追われ、食べ物に困った挙句高利貸しの借金取立てに協力し、自分の都合に合わせて矛盾する2つの約束を平気で結び、騙されたこのへの報復でねずみ男を奴隷扱いし、目玉の親父が持ってきた「地獄オリンピック」の招待券を盗んで人間にあげてしまい(もらった人間はそのせいで地獄に落ちる)、人間からの依頼を受けるかどうかは報酬の多寡で決める。池田首相にあてがわれたスポーツカーを乗り回し、バイクを盗み、歩きタバコ、立小便なんのその。幽霊族を守るとか人間を救うとか全くお構いなし。作品で描かれているのは、ひたすら食い物にありつくために日々を生きている鬼太郎および親父、ねずみ男
こうした鬼太郎たちの生き方が特に象徴的に描かれているのは第三巻「霧の中のジョニー」という作品である。(注:以下ネタバレ有)時の池田勇人首相が鬼太郎を招き、カレーライスを食べさせながら吸血鬼退治依頼する。首相は吸血鬼を倒した暁には、鬼太郎を人間として扱い日本国籍を与え、天皇陛下に勲一等の授与をお願いしてあげようという。これに対し鬼太郎は答える。

「そんなに頂いていいの?カレーライスもう一さら下さい」

次のシーン、ゴミ箱から新聞を拾い求人欄を貪り読んでいるねずみ男のところへ鬼太郎がスポーツカーにのって現れる。

「おいねずみ男、チョコレートのひとかけら位ならめぐんでやってもいいぜ」
「キサマ就職したなっ!」
「総理大臣にたのまれてネ、ハハハハハ ヒヒヒ」
「今に就職してスポーツカーを乗り回してみせるぜ」
「まけおしみいうない(鬼太郎、ねずみ男にビンタ)」

その後吸血鬼につかまってしまった鬼太郎。吸血鬼の子分になっていたねずみ男は、助けてやるから吸血鬼の味方になれと鬼太郎に迫る。「首相と約束したから」と頑なに助け舟を拒む鬼太郎。怒ったねずみ男が言う。

「池田ナンカ守ってどうしようというのだ。アンパンは(10円から)15円に 
貸本屋のマンガだって上がったぜ 今に電車チンだって上がるぞ 我々がゴミ箱をあさらなければ食えないというのは池田の政治が悪いからだ ソンナやつをなにして守るのだ」

最後のシーン、吸血鬼は倒したが鬼太郎は水と骨だけになってしまった。治療するため恐山に行こうと素っ裸のねずみ男を促す目玉。ねずみ男が訊く、

「鬼太郎が池田首相にもらうことになっている日本国籍と勲章はどうする」
「ああ そんなもの二つともない方が自由でいいよ しかしパンツはあった方がいいぜ」
「もちろん ゼントルマンのエチケットだものな」(完)

天皇陛下の勲章よりもカレーライス、国籍よりもパンツ、将来の所得倍増よりも目の前のアンパン、金ができたらスポーツカー。うわあ、なんかもう、すごいわ。鬼太郎、パンクだ。
そんなわけでここ数週間、すげえなあ水木サン、パンクだなあなんて思いながら暮らしていたのだが、先週この本を読んで彼のパンクっぷりに納得がいった。
総員玉砕せよ! (講談社文庫)
水木氏の戦争体験が元になっているこの作品では、ニューブリテン島のバイエンで日本軍将兵が過酷な日々を強いられた挙句、玉砕させられる様子が描かれている。玉砕で死ぬ者だけでなく、川に落ちてワニに食われた者、病気で死んだ者、作業中にこけて木の下敷きになった者、魚を喉に詰まらせた者など、本当につまらないことで大切な命を落とした姿が淡々と展開する。わけのわからないまま連れてこられ、空腹とビンタに耐え、「俺たちどうせそのうち死ぬんだよなあ」と諦め続ける日々。そして挙句の果てに玉砕させられる。そこには「硫黄島からの手紙」に描かれているようなヒロイズムはかけらもない。むしろヒロイズムは、大楠公に憧れるあまり部下の忠言も聞かず、無意味な玉砕を選んだ大隊長の阿呆な思想として揶揄されている。
作品中は全員が玉砕して死ぬのだが、現実では水木氏は生き残った。ただ爆弾で左腕を失った。ついさっきまで話をしていた仲間が死んでいく光景。なんでこんなことしなければいけないのだろうという疑問。次はわが身という恐怖感、そして空腹。ラバウルでの過酷な体験と戦争への根源的な疑問が、生への執着と厭世感という相反する感情を水木氏の中に埋め込んだのであろう。だから「私はパラオ人になりたい」であり、「国籍はいらない、でもパンツはあったほうがいい」なのである。
少し年下だが、野坂昭如氏に通じるものを感じる。鬼太郎と『エロ事師たち』のタクやんが重なって見える。
戦後復興と石油文明の発展を全身に享受して育ち、今やおっさんになりつつある私。絶対に彼らには叶わないなあと思う。