再会

風船飛ばしが縁でお会いしたハスさんご夫婦と、今日会う。11年ぶりだ。
数日前、ハスさんの長男の奥さんから電話があった。
「週末皆さんが来ると聞いて、義母は張り切り過ぎたあまり熱を出してしまいました。あと義父ですがご存知の通り車椅子の生活です。頭もマダラぼけです。ところが皆さんが来ると聞いて『風船少年がやってくる!』と朝から一人で騒いでいます。そういう状態だということをご理解の上いらしてください。それから私は用事がありますのでお会いできません」
暗に「来ないでほしい」という言葉だった。電話は手紙でわずかに知るばかりだが、ハスおばあさんは良くも悪くもはっきりと物を言う性格だったから嫁姑の関係はあまり良くなかったのだろう。嫁にとって、あまり良く思っていない姑に訪問客があるのは面倒なことなのかもしれない。
けれどもこちらに会わないという選択肢は元から無い。昨日家を出て温泉宿に一泊し、朝にはハスさんの家がある地名のところまでやってきていた。外は台風の大雨。
カーナビの案内が終わったところで、記憶を頼りに家を探す。11年前に探していた時、車の横に老紳士がやってきて「ハスです」と挨拶してきた場所だった。そう、この石の塀と大きな門があった。門の表札を確認し車をくぐらせる。家の中を覗くと人が見えた。ハスじいさんだ!車椅子に乗ったハスじいさんは、11年前と同じように一番最初に私たちを迎えてくれた。
しばらくしてハスばあさんの顔。11年前よりも腰が少し曲がって顔がこけた。「まあーよくきてくれたわね」この地方独特のイントネーションで私たちを迎えてくれた。
じいさんは何度か脳梗塞を起こして言語障害と半身不随を患っていた。ただ頭ははっきりしているようだし体は健康な様子。表情に衰えた様子は無い。ばあさんは相変わらず畑仕事に精を出していて調子が良いらしい。どうやら嫁の行っていたことは全部嘘だったようだ。
息子さんがいろいろともてなしてくれた。家で採れた果物、「とらや」の羊羹、お茶。じいさんは聞かれたことに返事をするだけ。ばあさんはいつもいろいろとありがとねえと言い、しきりに果物を私たちに勧めた。「こういうものは口に合わないかねえ」はっきり物を言う人だ。昨日の温泉宿の食事がまだ腹に残っていて苦しかったが、全部食べた。そしてとりとめの無い話をした。
11年の歳月は人を変えた。幼かった人が成長する一方で、老いた人は衰える。窓から見える景色が11年前と変わらないのが、人間の変化を対比的に強調させていた。
1時間半ほど話をしたところで帰る旨を告げた。ばあさんはお昼を食べていきませんか、簗を見に行きませんかとしきりに進めたが丁重にお断りした。車椅子のじいさんの世話があるだろうし、長居して嫁さんに迷惑をかけるとハスさんご夫妻、それから長男に苦労をかけかねない。記念写真を撮って家を出た。
ばあさんはお土産だといって畑で取れたジャガイモ、トマト、インゲン、米などを沢山持たせてくれた。一通り渡した後、思い出したようにもう何品か持ってきた。私は金一封を渡した。「こんなものはいただけない」と固辞されたけれど無理やり押し付けた。用意できるのであればお金以外のものがよかったと思う。けれども老夫婦に渡せるものはこんなものしかない。初めて便りをいただいてから16年、ほとんど手紙を書かなかったことへの罪滅ぼし、今まで成長を見守ってくれたことへの感謝、自分でお金を稼げるようになりましたよという報告、そしていつまでも長生きしてくださいという願いを込めて。そんな風にして自分の気持ちを整理した。
別れ際「お元気で、また会いましょう」と挨拶した。ばあさんは手を振った。じいさんは家の中から左手をあげ「はいっ!」と言った。
また会えるだろうか。
夜、いつになく暴飲。