レッツビギン 飛び出せ参拝!

金曜の夜帰宅したのは夜中の1時だった。23時ごろ仕事を終え、先輩たちとラーメンを食べたためだ。
8時に横浜でファーレスさんと待ち合わせをしている。ルートを確認、毛布や食料や着替えなどを車に積み込みコアロハ・コンサートを乗っけていざ出発、この時点で2時。
高速に入って2つ目のSAで仮眠、起きると5時。ガソリンを補給し、その後は出口までノンストップ。ジュニアでの航行は全く問題なく快適。
ところが横浜までの下道はびっしり渋滞。8時着予定が、ファーレスさんと会えたのは10時ごろ。なんともひどい遅刻である。しかしファーレスさんは怒りもせず再会を喜んでくれた、感謝。
一路、長谷へ。
長谷寺は紫陽花が有名なので混雑を懸念していたけれど、まだ咲いていなかったようだ。歩けないほどの人ではないし、駐車場もそれほど混んでいない。とはいえそこは初夏の鎌倉、通りは賑わいを見せていた。ぼんやりと往来を眺めつつ寺の方向へ。
入場料を払い階段を登る。途中の踊場のようなところには、水子供養のお地蔵さんが沢山並んでいる。わずかに微笑むその地蔵菩薩と蝋燭の炎、線香の煙。ここは若干の恐怖と深い悲しみが漂っている場所で、来るたびに胸の詰まる思いをする。
少し佇んでからさらに上へ。
階段を上りきった台地の中心にある建物、観音像はこの中にある。少し姿勢を正して中へ、拝謁。黄金の観音様はすこし威厳のある佇まいで、静かに思索していた。
以前と変わらない風景だ。ここに来るのはこれで三回目、はじめはたしか5年前、「でかい観音だなあ」というのが当時の感想。観音よりも他のことが印象に残っている。母が水子供養の踊り場で、本当はお前たち兄弟には兄がもうひとりいたんだよ、と言ってお祈りしていた。愛犬を亡くして間もなくのことだったから、寺の外で主人と元気に歩く子犬たちがうらめしかった。
二度目は確か誕生日に来た。一度目よりも観音像への畏敬が増し、生まれて初めて数珠を買った。瑪瑙でできた簡易式の念誦。この二度目の拝謁以来だろうか、時折長谷に訪れたい気分になる。いつか行こう、いつか行こうと思いつつ行けずじまいだったのが一念発起、今日、何年ぶりかに訪れることができた。
ファーレスさんも初めての長谷観音に感嘆の声を発した。二人並び、しばし合掌。
参拝者の年齢層に少し驚かされた。若い女性が多い。最初、寺巡りが「流行っている」のかと思ったが違うようだ。皆表情が真剣で、寺へ来た目的は観光ではなく礼拝らしい。では水子供養か?しかし中腹の踊り場で祈る女性はほとんどいない。皆観音堂で合掌するために来ているようなのだ。この状況ファーレスさんも気づいていたようで、一体これはどうしたことなのでしょうかとしばし話す。二人の結論は(若干の願望も込めてだが)「そういう時代が来たのだ」という点で一致した。「そういう時代」というのの意味は詳しく話すと長くなるが、要するに日本人が心のよりどころを求め、葬式以外でも手を合わせるような時代である(なんかこれだけ書くと危ない宗教みたいだなあ)。
若い人が真剣に合掌しているのに比べ、意外にも年配の方々は多くが観光気分、物見遊山の雰囲気だった。65歳くらいの団体がやってきて、ファーレスさんと二人で静かに手を合わせている隣で、やれこの仏像は金儲けの手段になっているだ、やれこれと似たやつを日光のどこそこでも見ただとわんわん喋っている。長谷には小さな洞に岩をくりぬいた仏像があるのだが、物見遊山ご一行ここでも言いたい放題「おっこりゃあ石仏だわ」「あー石仏だ」「なんだね、どこだっけ、アジアの国で石仏の顔だけ削り取った馬鹿がいたね」「えーと」「カンボジア?」「そうそうカンボジア。あれはひどいな」「あれはあのまま残したほうがいいわな、ああいうことする馬鹿がいたってのを残さなきゃ」「ああ、その通りだ、ひゃっ、ここは水が落ちてくるぞ」
違う、違う違う。カンボジアじゃなくてアフガニスタンだ。それに記憶に残すべきは「削り取った馬鹿」ではなくて「削り取るような状況を作った無関心な世界」だ。まったくこのおっさんたちは・・・怒り心頭だが、衆生を救おうと思索する菩薩の下で癇癪起こしてはどうしようもない。まずぐっと堪え、次にその「堪え」を心から消すために合掌。
長谷寺を出て浜辺のベジタリアンレストランで食事。横浜駅までドライブ。ファーレスさん所与のため15時に解散。その後2時間ほど横浜・川崎近辺をドライブしたところ、ものすごい強い睡魔に襲われた。これはいかんと思いコンビニで車を降りたら、前後左右の距離感がほとんどつかめずフラフラした。前日の寝不足と長時間の運転で感覚がおかしくなってしまったらしい。ビタミンの多そうなフルーツゼリーを食べ、仮眠をとった。するとファーレスさんから電話。曰く家で夕食を食べないか、一杯飲んで泊まらないか、と。藁にもすがる思いで二つ返事。細心の注意を払ってファーレス家へ。
知的な話をした。石油ピークの話、アラビヤ語の裾野をいかに広げるかの話、食品と農薬の話、大学のゼミの状況Etc。ファーレスさんは世の中の将来を見据えて研鑽を積んでいる。非常に刺激的になった。ただ残念だったのは、疲れで思考能力が追いつかなかったことだ。
22時ごろには寝てしまう。長谷参りの願いは達成されたが、私は疲れてて他所様の家で鼾を振りまいた。あっ、これじゃあ物見遊山のおっさんたちとあんまり変わらんじゃないか。