Run!欽一Run!

来た、来た。
24時間テレビ、今年のランナーは欽ちゃんこと萩本欽一である。
参照
長野五輪の閉幕式で世界中から「この司会誰?」と突っ込まれてから間もなく10年。今年、再び欽ちゃんが世界を救う日がやってきたのである。ま、五輪みたいに衛星中継はないけど。
芸能界でも指折りの聖域、萩本欽一
「主役をやりたい」と言った自分の劇団の劇団員を「僕は人と争う人は嫌い」という理由で更迭し、自分の野球チームの試合では相手チームをマイクアピールで撹乱し、フルーツが入っていると仕出し弁当を拒否する66歳。一見「日本人の良心」みたいなキャラクターに見えるが、トークやニュースに散見されるファシストっぷりはなかなかのものである。
一方で欽ちゃんの「いい人」論も根強い。下ネタを嫌い、若手を育成し、坂上二郎をいたわる心優しい欽ちゃん。悪口には傷つきやすいナイーブな大将。そこにあるのは絶対的な「善人」のイメージだ。この「善」というのは強力である。たとえ発言や行動がどんなにファシスティックであっても「善いこと(人)だから」という理由で許されてしまう。フルーツ入り弁当を拒否しようが向上心のある若者を「競争禁止」と更迭しようが、欽ちゃんは「善人だから」という理由で許容されてしまうのだ。
そんでこの「善だから許される」という構図、24時間テレビにそっくり当てはまる。チャリティーという「善」のためだから、嫌がる車椅子の少年を無理やり富士山に登らせたり、24時間マラソンしているタレントの肩を叩いたおばあちゃんに「触るな馬鹿野郎!」と怒鳴りつけたりしても許されるのだ、だっていいことしてるんだから。
つまり今年は「善なる24時間テレビ」に「善なる欽ちゃん」が出て走るのである。24時間マラソンといえば番組のフィナーレを飾る究極善の企画。善×善で番組は善だらけになるんであろうか。構成が善、走る人も善、流れるサライ、泣く徳光。なんかすごく怖いぞ。これだけ「善」が一度に画面に映し出されたら、逆に悪にしか見えないんじゃないだろうか。
とにかく今年は24時間テレビから目が離せない。