穴開き靴下

もう何十年も前、母方の実家に一晩預けられたときのこと。テレビを観ていたら祖母がやってきて、私をしげしげと見て言った。
「やいやい、もうらしい」
「おばあちゃん、どうしただ?」
「直ちゃ、靴下穴開いてるじ」
穴が開いてるのは知っていた、親指のところとかかとのところ。走り回っているうちに擦り切れたのだと思うが、そのまま放って履いていたのだ。それを見た祖母は見たとおり「穴が開いている」と言ったのだった。。
「穴が開いてるわやあ、いけねえなあ、もうらしいわや」祖母は何度も繰り返した。「もうらしい」とは「みずぼらしい」と「かわいそう」の間くらいの意味合いである。

次の日母が迎えに来た。帰り際、祖母が私にたたんだちり紙を渡してくる、開けると五千円ほど包んであった。子供にとっては大金である。祖母は言った。
「直ちゃや、穴開いた靴下はいてりゃあもうらしいで、これで靴下買えや」
私は喜んで受け取った。母は隣で赤面していた。この日我が家の夕飯はこの話題で持ちきりだった。

大正に生まれわけもわからぬまま農家へ嫁ぎ、戦前戦後に5人の子を設けた祖母。貧しさの中で培われた精神が、末孫の私への愛情として結実。その結果が「靴下に5千円」だったのだろうと今にして思う。ただ純粋に末孫を「もうらしく」感じたのだろう。だけどやっぱり5千円は高いなあ。何十年か前の懐かしい思い出。

その祖母が今朝、亡くなった。中国で訃報を聞いたとき、私は相変わらず擦り切れそうな靴下を履いていた。