会話覚書:大学のベンチ

「ハロー」
「こんにちは」
「ハウアーユー?」
「うん、お蔭様で。君は?」
「お蔭様で元気だよ。アラビヤ語を話せるんだね?」
「まあ少しだけね。」
「名前は?」
「巻きタブ」
「マクタブ?事務所って名前なのかい?」
「そうなんだよ。アラビヤ語だとそうなっちゃうんだよね。でもこれ、もともとの僕の名前だよ。君の名前は?」
「ウサーマ。ウサーマ・ビン・ラーディンと同じ名前さ」
「ははは。関係ないだろ」
「俺、テロリストに見えるかな?」
「見えないよ、ただの大学生だ」
「なんでそう思う?」
「君が本抱えていて、ここが大学だからさ。誰がどうみたってアメリカ大統領には見えないよ」
「へえー。でもさ、アメリカ大統領が大学を歩いてたっておかしくないだろう?」
「いや、ここにアメリカ大統領がいたらすぐ見分けがつくよ」
「どうしてだい?」
「彼はきっと本は抱えていない」
「ははは。面白いこというね。ところで君はどこから来たの?中国人かい?」
「日本人だよ」
「そうかい、ようこそようこそ。ここに住んでるの?」
「うん、半年だけ勉強でね」
「ここの暮らしはどう?」
「とても楽しいよ」
「危険な目にはあったかい?」
「いやあ、一度も会ったこと無い」
「そうだろう?この街はとっても平和で安全だからね。見ただろう?夜中に子供たちが公園で遊んでいたり、女の人が散歩したりしているのを」
「うん。みんな夜風を楽しんでるね。最近の日本では難しいかもしれない」
「本当か?日本はとっても安全だって聞くよ」
「まあ場所によるね」
「そうかあ。ところでマクタブ、君はなんでアラビヤ語を勉強したんだい?」
「君たちの事を知りたかったからさ」
「テロリストのことをかい?」
「ははは、よせって。確かに昔、アラブはテロリストの国だと思って怖かったよ。でも勉強をしてるうちにさ、どうやらアラブはテロリストの世界ではないってことがわかってきた。あのさ、結果が起きるのは原因があるからだろう?」
「そうだね」
「だから物事をちゃんと見るためには、結果ばかりにとらわれずに原因を知らなければいけない」
「その通りだ」
「そしてテロリストというのは結果だけれど、原因は外部にある」
「うん」
「もう一点。一人の日本人がカメラを首に提げていたからといって日本人が全員カメラを首に提げているわけではない」
「そりゃそうだ」
「だから一部の結果からすべてを判断してはいけない」
「それも正しいね」
「つまりアラブはテロリストの国ではない。僕はここの日常を見たかったんだ。だからアラビヤ語も勉強している」
「なるほど。なるほど・・・マクタブ、ようこそこの街へ」
「ありがとう」
「ところでこの街をどう思う?」
「とてもいい街だね。家族愛、友情、相互扶助、公共の福利。人が大切にすべきものがちゃんとある」
「どうしてだと思う?」
「きっと、イスラームが根付いてるからだね。イーマーン(信仰)の為せる業だと思う」
「そう。よくわかってるんだね。ねえ・・・君はムスリムかい?」
「いや、違うよ」
「そうか。じゃあなぜイスラームのことを知っているんだい?」
「先生がムスリムなんだ」
「何人?」
「日本人だよ」
「へえそれは素晴らしい。イスラームについて君はどう思う?」
「素晴らしいと思うよ」
「君はアッラーを信じるかい?」
「うーん、それは難しい質問だなあ」
「君の宗教は?」
仏教徒
「そうか仏教徒か。せっかくだから教えておくれよ。仏教徒は何を信じるの?」
「うーん、敢えて言えば、ブッダ
ブッダ?聞いたことあるよ。仏教をはじめた人だろう?」
「うーむ、ちょっと違うかなあ。ブッダってのは『悟った人』の総称なんだ。それで一番初めに悟った人、ゴータマ・シッダールタという名前なんだけど、この人を特にブッダと呼ぶこともある。」
「そのゴータマ・・・という人は、アッラー預言者なの?」
「いや、違うと思う」
「でも啓示はあったんだろう?」
「悟ったときに天の声は、聞いたらしいよ」
「ふむふむ。ところでマクタブ、君がさっきから言ってる『悟る』とは、どういう意味だい?」
「その意味を探るのが仏教だよ」
「うーん、それじゃあわからないよ。」
「世界の真理を識る、それが『悟る』ということかな」
「ああ、なるほど。つまりアッラー預言者を信じるということね?」
「いや、仏教における世界の真理は『空』なんだ。神が世界を秩序づけたり、預言を通じて指針を示したりはしない」
「ええ?そうなの??」
「うん」
「じゃあ大変じゃないか。」
「うん、結構大変」
「じゃあ来世は?天国は?」
「そういう考え方は無いよ」
「それじゃあ一体、あなたは何のために生まれてきたの?なぜここに存在するの?」
「それは、今ここにいるからだ。そうとしか言いようがないよ。」
「うーん・・・あ、そういえば仏教徒は石の像に祈るんじゃないの?」
「まあ、合掌するね」
「あれが仏教の神様?あの石像が君たちに何かしてくれるの?」
「いいや、何にもしてくれないよ。だって石だもん」
「だよね、石は何もしてくれないよね。じゃあなんで石になんて祈るの?」
「石そのものには祈っていないよ。あれは合掌し易く方向付けするための道具で、まあキブラみたいなものかな。石に祈るんではなくて、石の向こう側にあるもの、つまり『空』を探ってるんだ」
「さっきから『空』と言うけれど、一体なんなんだい?」
「僕はブッダではないから理屈でしか説明できないけど、たとえば水のことを考えてみてよ」
「水?」
「うん。水の分子は2個の水素原子と1個の酸素原子で構成構成されるでしょう?」
「そうだね」
「その分子がたくさん集まると水たまりになる、水たまりがもっと大きくなると」
「池になるね」
「池にはいくつ水の分子がある?」
「そんなのわからないよ」
「池を池として認識するのに、水素原子と酸素原子の数や区別を認識する必要はある?」
「あんまりないね」
「『無』とはこの感覚に近いんだ。人間を認識するとき、黒人と白人の肌の色の違いは関係ない。もっと言うと『あなた』も『わたし』も関係ないし、『わたし』と『わたし以外』も関係ない。すべて関係ない。その『関係ない』の境地から世界を再び見渡すこと、これが『空』かな」
「人間に肌の色は関係ないってのはよくわかる。だけどそこから先は半分しかわからない」
「どうして?」
「だって『わたし』と『わたし以外』が関係ないなんてメタ的なことをきちんと認識できるのは世界の創造者たるアッラーだけじゃないか。人間には無理だよ」
「まあそうかもしれない、でもできるかもしれないよ」
「完璧には無理だろうし、できるようになるのは随分大変な気がするなあ」
「確かに大変だね」
「でもどうやら君の話を聞く限り、『空』というのはアッラーの一部を顕してるかもしれないね。随分と遠回りだけど」
「僕もそう思う。イフサーンの話を聞くといつも仏教っぽいなあって思うもん」
「いずれにせよ、信仰を持つのはいいことだよ」
「うん、賛成する」
「今度うちにご飯食べにおいでよ。うちのマフシーはすごくおいしいんだ、びっくりするよ」
「え、いいのかい?」
「遠慮しないでおいで。じゃ、また。会えてよかった。」
「こちらこそ」
「あなたがたの許に平安が訪れますように」
「あなたがたのところにも」