不死身の花

親のすねを齧り倒し齧り倒し努力はあまりしないで掲げる志だけやたら高かった頃、イラクが戦争になった。掲げる志だけやたら高かった私は己のあまりの無力に、およびその無力の根拠であるところのサボり癖に、がーんがーんと絶望した。
デモ隊にでも参加しようかと思ったが、共感するのはデモ隊そのものよりも行列を誘導して一般人と通行者に危害が加わらないように最新の注意を払う国家の犬、警察の方々、あなたがたは素晴らしい!デモ隊はまず警察に「お世話になっておりますぅ」と営業挨拶しなけりゃいかん。閑話休題、戦争反対とでっかい声で言ったってブッシュが改悛するわけじゃなし、ライスが黒人に戻るわけじゃなし。ちびちび私ができること、それはアラビヤ語を黙々とやることだけであった。何を信じたらいいかわからなかったが「信じて」やろう、と思っていた。当時の日誌にこうある。

■2002/04/28 (日) 研究の焦燥

研究計画書はそこそこまとまった、先生の評価もよかったけれど、どうも
完成したという気分にならない。いいかげんな研究者気取りの毎日、いつそれが皆に
ばれてしまうか、社会の矢面に立たされるのか、それに比べて周りの同年代はどうだ、
内定ありやら、手に職ありやら、車ありやら、家に金入れてるのまでいる。
「他人は他人、自分は自分」と思うべきところだけれど、そうもうまくはいかない。
こうなればもう、研究は、何がなんだかわからなくなる。ただただひたすら、
やるしかない。信じてやるしかない。

今思えば、「信念もて」ということにあたるだろうか。
語彙の不足か「信じて」としか、当時は言いようがなかった。若い人たちは口々に言った「これ、どういう意味?」「なにこれ、何をどう目的としてやっているの?」答えに窮した。親のすね齧ってまで専門として勉強しているのに役立たずな自らの存在と不条理な爆撃への悲しみ、怒り、苦し紛れに「信じて」と言っているのだ。そんなことも知らずにえらそうに論拠もとめやがって、俺の気持ちがわかるか、わかるか、わかるくぁーっ!!はっくしょん。
と思っていたら、今度はレバノンが爆撃されている。「信じて」に論拠を求めた若者ども、今になって「自分の道を信じてやるしかない」とのたまってやがる。クソクソクソクソ!
人間は結局、自分自身で経験しないと何もわかりゃあしない。そしてわかるまでは、論拠を無理に求めたり自信たっぷりに論証したりするのだ。くわっくわっ、やおらウクレレを持ち、歌った。


さようならが寂しくないなら
手放すときためらわないなら
会わないほうが すれ違うほうが
手に入れてしまわないほうが
戦場に咲いてしまった
銃声を聞いてしまった
何一つ選べなかった
戦場に咲いてしまった
不死身の 不死身の 不死身の花

どうもありがとう。


フラワー

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