サッカー好きか?

早朝。試合に敗れ、中田英が泣いていた。1人気を吐いて闘ってきたのに、勝てなかった悔しさ、集大成とはならなかったこと、年齢的に「最後かもしれない」という思い。
思い出したことがある、16年前、同じような時間に同じような光景を見た。90年イタリア、マラドーナ。決勝、西ドイツに敗れ、足裏タックルでボロボロになった足を引きずりながら、マラドーナは1人泣いていた。そういえばあの時のマラドーナ、30歳だった。
ジーコの全盛期は知らない。Jリーグ発足前夜、鹿島建設にやってきた伝説のブラジル人、それが初めて見たジーコ。ボールに唾は吐いたけれど、「鹿島アントラーズ」を人気チームにしたのは間違いなくジーコのおかげ。「神様」は、もう15年近く日本サッカーに携わってきた。

マリノスの正GK、松永成立が突然解雇され、急遽代役として新人が起用された。あらあ随分緊張しているなあ、そりゃ、いきなりだもんなあ、何て思いながら見ていた試合。気が付けば松永と同じように、代表のGKとしてずっと名前をメンバー表に連ねてきた。始めて見た時はあどけなかった、川口。

小野の顔が少年サンデーの巻頭を飾った時思ったことは1つ、「げっ、すげぇ縮れッ毛!」19歳でこの縮れボンバー、こいつはいろんな意味ですごいかもしれない、と思った。海外への移籍が決まった時、浦和レッズはまた万年最下位になっちゃうんじゃないかと心配した、杞憂だったけど。心配だった縮れッ毛はきれいに剃り落とし、スキンへッズ。

エスパルスが決勝点、得点したのはドレッドヘアの若い外国人、へえアレックスね、また浮かんでは消える外国人の1人かなあとぼんやりしてたらこの男、日本語をペラペラ話し出した。うわっなんだこいつは!?驚いたなあ、でもいいシュートだし若いし、ちゃんと日本語も勉強して偉いなあ。日本で育ってほしいなあ、そんでいつか帰化して日本代表に入ったら面白いだろうなあ。なんて思ってたらホントに代表入り。いつの間にか三都主アレクサンドロと呼ばれるようになり、スキンヘッズになっていた。

スキンへッズといえば、ジュビロの修行僧。エコノミー症候群を世の中に知らしめた男、高原は、W杯に出場できなかった悔しさをバネに点を取り捲った。傍らには35歳を越えた中山の姿。試合を通じて中山から高原へ沢山のことが伝わっているはず、その中で成長する姿に期待が膨らんでいた。

暗黒時代を迎えたベルディに光明、相手FWに立ち憚る若き壁。身長もでかいけど頭もでかい、その名はボンバーヘッド中澤。頭のボリュームは次第に減ったけれど、プレイのインパクトは日に日に増していった。ただし、スキンへッズには入らず。

エースストライカーとして、小倉がピッチに立っていてほしかった。怪我さえなければ日本を代表するFWになれていたはず。ドキドキしながら見た四日市中央VS帝京、あのヘディングが忘れられない。W杯よりも前、小倉はひっそりと引退した。

4年前の日韓W杯が終わった時、ボランティアを通じて知り合いになった人が言っていた。
「国内リーグはレベルが低いから見たくない、面白くないと言っているうちは、『サッカー文化』が根付いているとはいえないんだ。だってほら、野球だったら皆高校野球を見たり、二軍の試合に足を向けたりするだろう?選手の成長を見守るだろう?だから誰も『大リーグと比べたらレベル低くて見る気がしない』なんて言わない。みんな野球が本当に好きだから。いつか、日本のサッカーもそうなってほしいんだ。そうしたら、日本はもっと強くなる。」

4年後、『キャプテン翼』でサッカーを始めた世代は30代になる。代表の中核を担うのは彼らより下の世代。Jリーガーを夢見てサッカーを始めた世代だ。沢山の人が、これからのいろんな選手の成長に興味を持ち続けてほしい。そしていつか、スポーツバーではなく、TVをつけっぱなしの定食屋でJリーグの控え選手の話題が上るようになれば、日本サッカーはもっと強くなる。サッカーをもっと楽しめるようになる。