昭和閃く

朝、庭の花を愛でているママタブを発見。プランターに新しい土を入れている。清清しく朝の挨拶
「なんだ、70近くにもなって砂遊びか」
「なんだぁ?この糞ガキゃあ、キ○ガイ」
「うるせぇババア」
新聞受けから日経新聞を取り、ナナメ読みする。

最後のページに「私の履歴書」という項目がある。経営者や芸術家など有名人が半生を語るコーナー、今月は作曲家の遠藤実氏なんだが、これが絵に描いたような一代記。子供の頃はとにかく貧乏、隣の子が白米弁当食べる横で自分は大根メシ。ものごごろつくかつかないかで戦争が終わって、田舎飛び出して東京、なけなしの金で買ったギター片手に食うや食わずの流し生活、やがて認められ、街角でふと耳にしたのが自分の曲、妻と涙親も涙、という激動の半生である。いかにも昭和らしい、今の日本を形作った人の物語。これだけでもう「この人たちにはかなわないよなあ」と思うのだが、今日はさらに衝撃を受け「ひえぇ、次元が違いすぎる」と思ってしまったのです。
以下、衝撃を受けた箇所の引用。小林旭をどんな歌でヒットさせようか、という下りである。

この年、小林旭の曲を立て続けに書いている。「マイトガイ」として日活映画で活躍していた小林さんは歌手としてコロムビアと契約していた。だが知名度、人気ともに文句なしなのに、これといったヒット曲がない。
小林旭を浮上させろ」という会社の命令を受けた。(中略)彼の高音を生かし、映画のイメージを覆す曲。そんな思惑から生まれたのが『アキラのダンチョネ節』だった。民謡調でありながらマンボのリズムも入っている。発売とともに爆発的に売れた。
余勢を駆って『アキラのズンドコ節』『アキラのツーレロ節』と続け、一連の民謡シリーズで小林さんは歌手としての地位を不動にする。

どうですこのセンス。赤貧、ひもじさ、貧しいことは全て体験した作曲家先生。この2枚目俳優をなんとかブレイクさせたい。ヒットする曲を作ってあげたい。有名にしたい!全身全霊手向けて、これでどうだ!と出した作品が『ダンチョネ節』ですよ。高音を生かし、映画のイメージを覆す曲、それが『ダンチョネ節』。民謡でありながらマンボ。マイトガイのマンボ。なんちゅう脱力感。そしてそれを受け容れる世相、調子に乗って『ズンドコ節』に『ツーレロ節』と連発する先生。素晴らしい。しかもこれだけじゃ終わらない。

その印税で荻窪に念願の家を建てた。

マンボと民謡を混ぜたら荻窪に家が建ちました。素晴らしい。ビバ遠藤実先生、ビバ昭和。最近の若者は何を考えているのかわからないなんて怒られたりしますが、遠藤先生の発想の前には、全ての若者が思考停止ですよ。素晴らしい!立派な大人になれるようますます精進せねばならないと思いつつ、未だに土いじりをしているママタブを眺め暮らす六月の朝であります。

ズンドコ節/ダンチョネ節

ズンドコ節/ダンチョネ節