藤岡弘VS曙

いやあ素晴らしかった。『藤岡弘探検シリーズ 伝説の野人 ナトゥを追え!』
http://www.tv-asahi.co.jp/tanken/
相次ぐハプニングの割にカット割のうまい映像、貴重なはずの水をがぶ飲みして気合を入れる藤岡隊長、後ろ足が前足より長いマレー熊、泥ひとつついていない巨大な落石、青いバナナしか生えていない原生林で野人を捕らえるための罠として使用された黄色いバナナ(フィリピン製か?)、そして黒板の地図に書き込まれた「ワナ」の二文字(カタカナ)。
そして何よりも、真剣そのものの藤岡弘である。いや、本人が真剣であるという確証は無い。でも番組中の藤岡弘は「未知の生命体を発見しようとする命知らずの隊長」として、十分説得力のある存在だった。いや、何より藤岡弘という存在自体、あるいは生き様自体が「ミャンマーの奥地に分け入り野人を捕獲する」という企画に番組としての説得力を持たせていたように思う。番組の内容に真実味を持たせていたかは別として。
バラエティって、「いかに視聴者をハラハラドキドキさせ、楽しませるか」だと思う。ここ数年のTV番組には、この「ハラハラドキドキ」を、芸能人や一般人の色恋沙汰(言い方が古いな)とか借金苦とか、リアルな部分に求めることが多い。その是非はともかくとして、番組が「リアル」を建前にしていると、それが嘘だったとき「ヤラセ」という非難を受ける。ドキュメンタリーやニュースならともかく、バラエティをヤラセ呼ばわりしたところで何の意味があるのかと思うが。
その点、この『探検シリーズ』は素晴らしい。あまり深くは述べないが「リアル」をウリにはしていない。つまり野人が存在するかしないかはあまり大きな問題ではない。「野人は存在しているものとしてテレビに向かう」というのがこの番組を楽しむ上での大前提であり、この前提を飲めない人ははじき出されるのである。そして視聴者に向けられた「ハラハラドキドキ」はこの前提を踏まえた上での「藤岡弘と部下のイケメンが野人を捕獲するプロセス」のみであり、視ている側もそれをわかっている。だからこそエンターテイメントとして成立しているのだ(部下たちが穴掘りをして上半身裸になるシーンをエンタメとして受取った人もいるだろうが)。

番組に対し「ヤラセかよ!」と怒る人には、裏切られた、だまされたと言う憤りや落胆がある。一方リアルを売りにしない番組に対しては、そういう感情は起きようがない。だってリアルじゃないんだから。
時として芝居が人生を映し出すように、リアルでないものの中にこそむしろ現実がある。だから建前の真実に虚構を見出してしまうより、暗黙の了解としての虚構の中に真実を見出すほうがいいと私は思う。

『探検シリーズ』終わった後の30分でK1ソウル大会を見ていたらそんなことを思った。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/live/200503/19/index.html

貴乃花って、膝の半月盤損傷しても優勝決定戦で勝ったよね?なんでローキックで膝痛めた曙にはセコンドからタオル投入されるの?負けた後自力で歩いて帰ってたのに・・・。