不便の便

半ば意識的に、半ば無意識になのだけれど、身の回りには不便だけれど使い続けているものが多い。

愛車スコット11号。金具という金具が全部錆びている。スピードが出ない、ちょっとした凸凹でもびっくりするくらい跳ね上がる。5速入れるのにコツが要る。シートに穴が開いている。
でも、使う。錆を削って錆止め塗って、5速のコツを覚えて、シートを縫って。だって楽しい車なんだもの。余計な設備は付いてないし、スパルタンなボディ形状だし、どこにでも行ける。


登山用バックパック。収納が少ない。今のバックパックでは当たり前の、横のポケットが無い、防水繊維も使ってない、なんか臭い、ベルトが短い。
でも、使う。背負う時のフィット感が抜群で、違和感があるときは調整する方法が幾通りもあって、なんてったって色合いがいい。


コアロハ・コンサートウクレレ。ペグが旧式で硬くて調律がなかなかうまくいかない。弦の位置が高くて指が痛い。フレット板の端があんまり面取りされてないからちょっと痛い。
でも、使う。旧式ペグは新型より断然カッコイイ。弦の位置が高い分、誰よりも大きい音が出せる。そしてコアロハ独特の鋭くギラギラした音色。まるでチェンバロみたいな音。ロックンロールを弾くのにぴったりなのだ。他のウクレレではここまで出ない。

不便なものより便利な方がいいに決まってる。けれどいくら便利なモノでも、自分が拘りを持ちたい部分の機能が劣っているようなのは物足りない、愛着が湧かない。少し不便でも、拘りを満たしてくれるようなのがいい。不便なところは我慢するかなんとか工夫して、使う。自然と愛着が湧いてくる。

マックを使ってる人は拘りを持つ人が多かった。昔のマックって急に動かなくなったり修正不能になったり、専用部品ばっかで人のプリンタが使えなかったりした。けれどもマックユーザーは根気よくつかっていた。マックでしか使えないソフトやハードがあったから。その態度が、なんかカッコよかった。
逆に今、「マックOSは安定してるし色んな設定いらなくて楽だよ。Windowsなんかやめちゃいなよ」とか言うマックユーザーがいるけど、あんまりカッコよくない。便利なもので楽することが何で自慢になるの?不便だったらWindowsに乗り換えるの?と思う。まあ、パソコンってデジタルで「仕方なく使う」場面が多いモノだから利便性を求めてしまうのだろうけれど。

栄養バランスのこと考えて毎日同じ飯を食った方がいいはずなのに、甘いもの食べたり酒飲んだりする。それで太って痩せる目的だけに運動する。で、また菓子を食う。きっと身体にはよくない。でも心にはいいのじゃないだろうか?
同じように不便なものを使って、不便を補う為に工数かけてもいいと思う。時間や労力に無駄はあるのかもしれない。でも、心にはいいはず。
つって、ね。