14×2歳

14歳のころ、布団の中で急に悲しくなって涙が出た。
社会の教科書に書いてある内容からすると、類人猿は30歳くらいでほとんど死んでしまうものだったらしい。なぜかといえば人間は20代前半が肉体のピークで、それまでは筋肉や脳が成長を続けるが、それ以降は衰えてしまうものだからだ。
一方、現代人が80歳まで生きながらえるのはなぜか?それは医療が発達したからだ。決して人間が進化したからではない。
その証拠に、人類誕生から200万年たった今でも人の身体は20代前半をピークに衰えていく。今の人間が類人猿と違うのは、衰えて倒れ掛かる肉体および脳味噌をつっかい棒でささえ、倒れ方に応じて棒をとっかえひっかえする技術、知能、経験則を覚えたからに過ぎない。このつっかい棒のことを人は医療と呼ぶ。僕はそう考えた。
さて自分だ。当時僕は14歳、もう成長できる期間を半分以上生きてしまっていて、あと7,8年しか残されていない。10年経ったらあとは衰える一方でつっかい棒にしがみつきながら生きていくしかない。もう無い。時間が無いんだ。なんて短いんだ人生って。そう思ったら悲しくて泣いてしまった。
残された7,8年間を必死に生きなきゃ、そうしなきゃ何にもならない。なんてことを考えていた。青いながらに抱いた生への逼迫した希求。
ところがどっこい、穀潰しの学生時代を人より長く過ごしているうちにそんなことはすっかり忘れてしまった。阿呆である。
なんとか卒業し、サラリーマン生活を送り、当時の希求を思い出したのは去年の2月ごろのことだ。気が付いたら僕は20代前半を過ぎ、筋肉や脳が下り坂を転げ落ち始めていた。腰を痛め、胃腸がびっくりするほど弱くなり、人の名前や誰かに頼まれたことをすぐ忘れるようになった。あれ?さっき歯磨きしたよな?
数え27歳、独身パラサイト、週末はごろ寝、彼女なし、携帯メール受信なし、夢特になし、腹メタボ気味、握力30弱。14歳のとき「こうはなりたくない」と恐れていた姿が、まさに当時の自分だった。げげげげげげげっ、がっ、ぐっ、こっ、愕然とした。
毎日ウクレレを握った。毎週山に登った。仕事をした。車で遠出して、会える限り多くの人に会った。とにかく「生きている」という感覚を常に内に持っていたかった。誰かと話がしたかった。いわば前後左右に峻険な山が聳える盆地、誰もいないようだったけれど「俺はここだーここだー、おーい。やっほーゲロゲロ。たーすけてくれよオイ」と発し続けた。
そしたら「なんだーこら」「おれもここだー」「いらっしゃいまし」「こんにちは、FTTH入りませんか?」色々な声が聞こえてきた。誰もいないかと思っていた盆地だけど、実はいろんな人がいた。声をかけて反応してくれた人、実は前から声を発していたけど僕が聞こうとしていなかったために気づかなかった人、穴倉から這い出てきた人、登山を終えて盆地に戻ってきた人。人と成りもいろいろで、ニット帽かぶった人、腹筋してる人、甘い声の人、無口な詩人、背の高い人、モヒカンの人、自分とよく似た顔の人、けれど共通してみんな笑っていた。
楽しくなった。
今日、28歳になった。生まれて14年目で残された時間の少なさに泣いてから、さらに14年間生きたことになる。
確かに今日鍛えた部位の筋肉が次の日増えていることはないし、英単語を一晩に20個覚えるなんてことはもうできない。運動前に入念に準備体操をしないと可動域が狭い気がする。人に頼まれたことは必ずメモをとるようにしている。
肉体も脳も衰える。けれど、こころの成長は止まってない。「ここだーここだー」と騒げばいくらでも伸びることができるから。伸ばしてくれる人は回りに沢山いる、問題は周りの人に気づくかどうかだけ。27年生きてきてようやくそのことがわかった。そしたら随分と生きることが楽しくなった。ジャイアント馬場は還暦記念試合後のインタビューで「昔60歳ってのは随分年寄りだなあと思っていたけど、いざ自分がなってみると『なんだまだやれるじゃないか』って」と言っていたが、まわにその通りだと思う。ヨッシャ(by近鉄佐々木監督)心ははるか夢の恋人、星から星へどこまでもいってやる、メガトンブルース。身体がかしがってつっかい棒だらけになっても関係ない。
これから先、この一年、何が待っているんだろう。楽しみで仕方ない。
皆さん、誕生日のお祝いありがとうございました。とっても嬉しいです。これからもよろしくお願いします。
ピース!