喫茶店代

ある年のゴールデンウィーク、鹿児島のおばさんが実家へ遊びに来た。当時親のすねを齧って東京で穀潰し生活をしていた私も呼び戻され、おばさんに会った。
おばさんの身体はお酒のせいでボロボロだった。肝臓を筆頭に身体の至る所が悪くなっていたらしい。それでもおばさんはお酒を飲んでいて、悪い体をさらにどんどん悪くしていた。
そんな話を事前に聞いていたから弱りきったおばさんに会うのが怖かったけれど、実際にあってみたらおばさんは至って元気そうだった。「直ちゃん、大きくなったね」なんて言いながらニコニコしていた。
おばさんは親父の姉なのだが、若い頃家出をして流転し、数十年前に鹿児島へ落ち着いたらしい。実家と鹿児島は遠いのでなかなか会うことはできないものの、お互いの様子は時折連絡しあっていたようだ。
親父はおばさんを観光名所に案内したり、店で何か買ってあげたり、ご馳走したりしていた。昔話にも花が咲くようだった。親父はニコニコしていた、おばさんも笑っていた。私は、おばさんは本当に体が悪いのかな?と疑問に思った。
おばさんの体は実際にボロボロだった。そのことに気づいたのはある観光名所に着いた時。道案内のために先導しようとした私の肩を、おばさんは後ろから優しく掴んだ。一瞬理由がわからなかったが、歩き始めて気づいた。糖尿病に蝕まれ、おばさんの目はもうほとんど見えないのだ。おばさんの母、つまり私の大好きだった祖母と同じ病気。涙が溢れ出しそうになるのを必死に堪え、私はおばさんの手を肩に乗せたまま案内した。
道案内が終わった時、親父に隠れるようにしておばさんが話しかけてきた。
「直ちゃん」
「はい」
「これ、直ちゃんにお小遣い」
「えっ?いや、いいですよそんな」
「いいのいいの、取っといてよ」
「いやいや、いいですって」
「いいのよ、ほら、喫茶店代ね!」
おばさんの生活が楽でないことはなんとなく知っていたから遠慮したかったけど、断りきれなかった。おばさんは一万円の入った包みを私の手に押し付けて笑った。
観光地めぐりが終わって、おばさんは鹿児島に帰っていった。別れ際もおばさんはニコニコしていた。親父もニコニコしていた。二人の笑顔に、これが今生の別れなんだなというのが何となくわかった。
おばさんに貰った喫茶店代は、しばらく財布とは別の場所に保管していた。けれどいつの間にか財布の中に入れて使ってしまった。何に使ったかは覚えていないけれどおそらく生活上必要なこまごましたものを買ったのだと思う。穀潰し生活をしていた私にとって、一万円は大金だったから。
翌年おばさんはなくなった。
月給取りになった今、穀潰しだった頃に比べて私にとっての一万円の価値は低くなった。けれどおばさんの一万円はきちんと取っておいて、喫茶店代にすべきだったと今でも後悔している。