ずっぱ

学生時代にみーちゃんという一歳下の後輩がいて、とても性格の良い真面目な女性だった。こつこつと勉強することを厭わず、わからないことは積極的に先生たちへ質問していた。目上の人に対する気遣いができ、同年や後輩にたいする思いやりがあって、それでいて計算高くない人だった。また今の生き方、将来の生き方に悩みながら研究をしようというその姿は本当に学生らしい学生の姿を体現していたように思う。
が、みーちゃんには一つ問題があった。男である。
みーちゃんの彼氏は仏頂面の男で、その風貌から「ナムアーミー・ダブーティー」と呼ばれていた。大学ではボランティア活動に精を出し、面倒見の良さで後輩からの人望も厚かったようである。ところがこのダブーティーはとんでもない内弁慶で、みーちゃんにたいし強烈に暴力を振るっていたのだ。これまでに見聞した情報を挙げると、

  • 何でもないことで口論になり、マウントポジションから顔面にパンチの雨あられを浴びせた
  • 名古屋から横浜へ車で移動中、みーちゃんを静岡のサービスエリアに置き去りにした。もちろん携帯と財布は没収済
  • アパートから階下の庭へ荷物を全て放り投げ、「この部屋から出て行け!」と叫んだ。ちなみにその部屋はみーちゃんの住んでいたところ。

とまあこんな感じである。当然みーちゃんもみーちゃんの友人知人も「ダブーティーといるのは危険だ」と思い、何度か別れ話をさせたりアパートを秘密裏に変えてみたりと努力したのである。しかし肝心のみーちゃんがダブーティーとの関係を断ち切れず、復縁する→家に入れる→マウントパンチという極悪サイクルの繰り返しであった。
ある日のこと、今日もみーちゃんはダブーティーに鉄槌を喰らい、目に眼帯をつけて研究室にやってきた。あまりに不憫に思った私はみーちゃんに単刀直入「何故そんな姿になってまでダブーティーとの関係を断ち切れないのだ?生きるということ、研究するということに対する貴女の素晴らしい態度が、ダブーティーの暴力で滅茶苦茶にされるのは本当に勿体無い。貴女はダブーティーから離れるべきだ、何故離れられないのだ?」という趣旨の質問をした。
この質問に対しみーちゃんはしっかりと時間をかけて答えを返してくれた。ダブーティーとの生活、暴力、みーちゃんの努力、周りのバックアップ・・・感極まったのかみーちゃんは回答の途中で涙を流し始めた。私はコーヒーを入れてあげて「大丈夫、大丈夫、うんうん」と返事しながら話を聞いた。10分位だったろうか、話し終えたみーちゃんの泣き顔を見ながら、私は彼女の話を要約した。みーちゃんが私に一番話したかったこと、それは、
「だって、ダブーティー君優しいんだもん」
・・・
だめだこりゃ。
昔心理学を齧っていた友人が言っていたが、暴力を振るう男から別れられない女性は、暴力男がごくたまに見せる優しさが忘れられないらしい。度重なる暴力の苦痛の合間に見せる優しさ、これは麻薬みたいなもので、暴力がエスカレートすればするほどこの優しさに悦びを見出すのだとか。みーちゃんは完全にこの麻薬にはまってしまっていたのだ。仏頂面のダブーティー、おそるべき破戒仏陀
前置きが長くなってしまった。言いたかったのはダブーティーの破戒っぷりではなく、仏頂面の暴力男を「優しいんだもん」と言ってしまう心理である。性格、容姿、どっからどう見ても「ダメだろ」って男が美人を侍らせているってことは往々にしてある。わかりやすく言うと2時間サスペンスにおける火野正平の役回り。火野演じる、禿でギョロ目で酒飲みで山師の甲斐性無しが、「お嬢さん、僕はあなたとずっと前から会う運命だったような気がする」と言う。うー書いてて既に気持ち悪。でもこのお嬢さん「まあっ」とかいいながら火野についてっちゃうんである。どうなってんのよこれ。
今日そんな男の話を耳にした。その男、名はずっぱ、生まれてから齢重ねて四半世紀余、性格はすこぶるキモく、風貌は見るからに「ヤの字のつく自由業」。どこからどうみても「ダメ」なため、「ずっぱと結婚しろよ」という発言がネタになるくらいの男らしい。
ところがこのずっぱ、モテモテなんである。しょっちゅういろんな女性と界隈をほっつき歩いているのだそうだ。ずっぱ、火野昭平の役回りをリアルで体現する男。やばい、会いたい、会ってみたい。
ずっぱ、ずっぱ、火野昭平男・・・そんなことを思いつつ家に帰ったら思わずフラック・ザッパを聴き返してしまった。「マフィン・マン」いいな〜。

Bongo Fury

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