豆腐と合歓の木

合歓の木

起き抜けに朝風呂へ入り、なめこの味噌汁を一杯。ややまどろんだあとで朝食。ご飯、海苔、サラダ、凍み豆腐、鱒塩焼き、漬物、湯豆腐、わさび海苔、蜜柑ゼリー。なんでこんなに朝から放蕩三昧かというと、夕べ温泉宿に泊まったからである。
湯豆腐を食いながら思い出した。
小さい頃、実家に時々豆腐売りのじいさんが車でやって来ていた。2週間に一度くらいのペースでじいさんが家の前を通るので、鍵っ子だった私は親から絹ごしを二丁買うようにいつも言われていた。
じいさんが来るのはすぐにわかる。なぜなら爺さんの車には屋根に拡声マイクが取り付けられていて、そこから大音響で民謡を鳴らしているからである。学校帰り、民謡の音が遠く聞こえると「ああ、豆腐買わなきゃいけね。ボウルに水入れとかなきゃいけね。ああ、面倒くせ」と思ったものだ。
うちの注文はいつも絹ごしを2丁だった。絹ごしは時々品切れのことがあり、じいさんはそんなとき木綿を出してくれた。ごく稀にだけど、油揚げをサービスしてくれることもあった。そんな経験があるせいなのか、今でも豆腐は木綿のほうが好きだし、油揚げには目が無い。
じいさんは時々私と話をしていった。5分かそこらだったと思う。けれど何を話したかほとんど忘れてしまった。唯一覚えているのは合歓の木の話。
そのころ実家には玄関先に合歓の木が一本植えてあった。じいさんはその気を見るたび「ああこれは合歓の木だね。あのね、『ねむの木学園』という学校があるんだよ」と教えてくれた。私はそれを聞いて「またこの話かあ」と思ったものだ。
やがて私は進学し、じいさんが通る時間に家にいることはなくなった。年月が経ち、私は段々大きくなった。その一方で、じいさんの豆腐が食卓に上がることは次第に少なくなっていった。
豆腐を買っていた頃から、もうかなりの年月が過ぎた。あの豆腐が食卓にあがることはもう無い。じいさんは夫婦で豆腐屋をやっていたが、後継者はいなかったらしい。多分もう亡くなったんだろう。そういえば合歓の木も枯れてしまった。
けれど、じいさんの流していた民謡は今でも歌える。

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