八面大王について

征夷大将軍坂上田村麻呂は征夷の途上、信濃の国で民を苦しめてた魏石鬼(ぎしき)という魔物を退治した。鬼の復活を恐れた将軍は魏石鬼の体をバラバラにして安曇野各地に封印した。魏石鬼の通名は八面大王という、詳細は以下を参照されたし。
http://www.ultraman.gr.jp/~shalom/sinaninominnwa.html
魔力で安曇野の民を苦しめ、朝廷の行く手を阻んだ悪鬼として八面大王は伝承されている。一方で坂上田村麻呂は朝敵を制圧し民を解放した英雄である。
だが安曇野には別の伝承もある。すなわち坂上田村麻呂は「やまと」という西国から派遣された侵略者であり、八面大王は民を守るために立ち向かった安曇野の豪族である。実際、領民を護るため最後まで敢然と戦った勇姿から、大王を地神として崇め讃える姿勢が南安地域には定着している。

真実はどうだったのであろうか。戦争であるから、どちらが正義でどちらが悪だったかを語るのは意味の無いことである。為政者としての八面大王が理想君主であろうと圧政者であろうと、外部からの侵入者に抗するは当然の行為である。かたや坂上田村麻呂も朝廷から派遣されたにすぎない。裁量はあったにせよトップからのミッションをで動く軍事司令官である。彼らを善悪二元論で語ることはできない。
推すに大王は大和朝廷に執拗に抵抗したため、悪鬼として語られるようになったのであろう。田村麻呂が大王の体をバラバラにしたのは復活を恐れたというより、朝廷に叛らった卑賊の末路として晒し、東国の豪族の叛逆を牽制するためだったと思われる。民話で観音菩薩が田村麻呂の夢に現れるのも、当時安曇野で信仰されていたシャーマニズムに対する仏教の優越性を示すためであろう。
大王を倒すために矢の材料として用いられた「三十三節ある山鳥の尾」は何を示すのであろう?思うに弥助のもとにに現れた娘は山鳥の化身ではなく、大王の身辺を探る間者だったのではないだろうか。純朴な弥助母子は突然やってきた娘を迎え入れ、その出自を疑うこともなかった。共に過ごした三年間、母子が娘に大王の内政事情について語ることもあっただろう。娘は頃合を見て朝廷に対しレポートをしていたのかもしれない。そして最終的に大王の討伐プランが完成したとき、弥助の家を後にしたのだろう。娘の本当の顔を、弥助母子は知る由も無い。
田村麻呂は最初の征夷大将軍として歴史に名を残した。一方の八面大王は郷土の守り神として今でも慕われている。両者が利権を争った安曇野は今、田園と果樹、観光資源と精密技術で潤う豊かな土地となっている。
可愛そうなのは弥助母子である。