エエジャナイカ

音楽好きといわれる民族、島、地域がある。沖縄、ハワイ、キューバ、ジャマイカ、ロマ等など。そこで暮らす人たちは大抵「人が集まれば歌いだし、踊りだす」と説明される。本当かどうかはともかく、そういった場所の音楽が広く人気を博しているのは確かだ。
共通していることが1つ、これらの人々は総じて順風満帆ではない。貧困、苛酷な労働、流浪、併合、被植民地支配。連続する理不尽な不幸の中で歌に思いを託し、生きてきたのであろう。悲しい時には、暗い音よりも明るい音を奏でることで精神が癒されるという。そのためだろうか、上にあげた人々の音楽は明るくて、それでいてどこか悲しい。三線の乾いた音やウクレレの静かな和音が象徴的である。
人は不幸に際して歌を紡ぎ出し、踊る。沖縄以外の日本も例外ではない。明治から大正初期にかけての演歌師の風刺歌、そして戦後間もなくの数々の歌謡曲。岡晴郎「憧れのハワイ航路」を聴いてみるといい。一声目の「はぁ〜れたそらぁ〜♪」における底抜けの朗らかさ、今、コメディアンでもあそこまで明るい声は出せない。現代においてあそこまでハワイに憧れることはできない、ましてや航路でなんて・・・。生きてたわけじゃないからわからないけれど、やっぱりあの時代をしてあの声せしめているのだと思う。
ええじゃないか騒動というのがある。慶応3年(1867)あたりから近畿を始点に庶民が踊り狂ったというやつである。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~matsuba/bakken/tokusyu38.htm
引用にもある通り、庶民は黒船来襲や維新前夜の不安定な情勢といったことへの不安を紛らわすために踊り狂った。中世には一遍上人踊念仏というのもあった。日本人は時々ヒステリックに踊りだしたくなるようだ。少し強引だが、それは日本人の宗教観―諸行無常、色即是空、浮世は憂き世―とつながっているように思う。今は幻のようなもの、だから歌い踊ろうといった感覚である。
さて、シリアの話である。この地は歴史が始まった時すでに権力者の憧れであり、戦略的に重要であった。そのため常に戦場となる。戦争ごとに苦しむのは権力者達ではなく、この地に住む人々であった。そしてそれは今も変わっていない。イラク戦争、あるいはパレスチナ紛争を見れば誰の目にも明らかである。度重なる理不尽な戦争に人生を弄ばれた人々。これまでの話からすれば、この地の人々も常に音楽とともに生きているということになる。だが実際は少し違う。
確かにシリア人は歌い踊る。アラブ音楽には伝統のものもポップスもあるし、結婚式では喜んで踊りだす。だが人々の思いがそこに託されているのかというと、どうもそうでもないように思える。というのも彼らを見ていて、心のそこから音楽を愛している、音楽こそが人生、といった感じはうけないのだ。
それはやはりクルアーンコーラン)の存在が理由だろう。クルアーンとはもともと「読誦するもの」を意味している。つまり声を出して読みあげるものなのだ。それもただ淡々と読むのではなく、アッラーが天使ジブリール(ガブリエル)を通じてムハンマドマホメット)に下したのと同じリズム、同じ抑揚で読めばなお良い。ムスリム社会においてはクルアーンの読誦CDが簡単に手に入る。それらのCDを聴いてみると、実に美しい。美しいんである、音楽的に。
クルアーンのCDなりテープを日常的に聞いているシリア人は結構多い。そして日に5回の祈りの際には必ず口にしている。クルアーンは日常に溶け込んでいるのだ。いや、彼らにとっては全てであると言ってよい。それは万有の主である神の言葉だからだ。ムスリムにとっては人生の全てがアッラーを信じ、崇めることにある。そんなアッラーの言葉が書かれた本に各々の喜怒哀楽を感情移入させる様子は容易に想像できる。嬉しい時も悲しい時も手にするのはクルアーンであり、心に響くのはクルアーンの読誦なのだ。人間の作った音楽に感動することはあっても、クルアーンを超える事は決してない。だからこそシリアの音楽は沖縄やハワイと違った様相を呈しているのだろう。そして現世がどのような状況となっても「ええじゃないか」に走ることはないのだろう。