ランチボックスに教えてもらったこと

ここ数日は頭も身体も使い物にならなかった。
理由は疲労。先週末「スコット11号」という名の10年落ちの軽貨物で9時間のドライブをして水戸へ行き、ウクレレ・ランチボックスで歌い、飲み、笑い、一泊してまた9時間のドライブで帰ってきた。心身ともに精力尽き日曜日に20時間、月曜日に8時間睡眠、今日になってなんとか復調した。
今残っているものは満足感と充実感だ。「車の移動なんてやめときゃよかった」という気持ちは微塵も無い。
わかったことが幾つかある。
まずここと水戸は道が繋がっているということ。電車の旅はまるで瞬間移動で寝ている間に着いてしまうが車はそうはいかない。アクセルとブレーキを操って自分で進まなくちゃならない。大変だ、けれど自分の力で進みたどり着くことができる。頂上までゴンドラで行くよりも歩いた方が「登った」という実感があり感動がある。電車はゴンドラで車は歩きだ。車での移動は疲れたし非効率だったけど、ある実感があった。それは水戸には「行ける」ということだ。
9時間かけてまでいった理由、それは暖かく迎えてくれる水戸の皆さんに会うためだ。水戸の皆さんに教えてもらったことがある。それは「誰でも人前で歌ってよくて、皆が皆、必ず他の人とは違う歌を奏でることができる」ということ。
ここに来るまでは「人前で弾く人」と「聴くだけの人」には線があるのかと思っている節が私にはあった。もちろん実際はそんなことはなくて、誰でも人前で歌えば「弾く人」だ。ただ「弾く人」になる決心がつくかつかないかの差は大きくて、決心できるかどうかが「弾く人」と「聴くだけの人」を分ける線なのかな、と考えていた。
違う。人前で弾くのに必要なのはきっかけだ。自分できっかけを作る場合もあれば、まわりにきっかけがある場合もある。前者は私が書いたところの「決心」で、後者がランチボックスなのかな、と思う。誰でも弾いていい状況で「じゃあ次、○○さん」で弾いてみる。皆がそれを聴く、反応する。自分の演奏に反応を得られる喜びが「またライブやりたい!」という気持ちになっていく。
色々理屈めいたことを書いてしまった。要は、ランチボックスにはどんなスタイルの演奏にも暖かい拍手がある。そしてその拍手をきっかけに演奏する喜びを手に入れた結果、数ヵ月後の演奏時にはずっとずっと成長をしている人がいた。それも何人も。
これは、すごいことだ。
だからまた水戸へ行こうと思う。楽しく演奏するためだけじゃなく、拍手を送るために。そしてその拍手を水戸だけじゃなくそこかしこで送れるような場を作っていきたい。
ありがとう、ランチボックス。