ウクレレは器用貧乏

ウクレレについて思ったことを一つ。
他の楽器に比べてウクレレは自由度が高い。
まず音楽のジャンル。ハワイアンを筆頭に、ジャズ、ボサノヴァ、ロック、昭和歌謡、スカ、カントリー、アイリッシュ、ロマ、フォーク、ブルーズ、ブルース歌謡などなど、何でもできる。
そして楽器自体。ハワイコア材、マホガニー材、メープル、桐、ココナッツ、プラスチック、金属、廃校になった学校の柱、葉巻の箱などなど、胴を形成できるものなら何でも使える。
「それは他の楽器でも同じ」という人がいるだろう。確かにエレキギターでクラシックを演奏することもできるし、セラミックで作ったヴァイオリンなんてのもあるかもしれない。けれどもこれらは「珍しい」演奏であり楽器である。
ウクレレにあって、他の楽器にはないもの、それは「ゆるさ」だ。どんな音楽を演奏しようと、どんな素材で作ってあろうと、決して「珍しい」ものにはならない。「ま、いいか、ウクレレだし」と思ってしまう。だからウクレレをやってると、何をやってもいいような気がしてくる。あらゆるジャンル、素材に対応できるので、とても器用な楽器だと思う。
ところが、何でもできる反面、どれもちょっと物足りない感じがする。なぜかというと、ウクレレには短所がいっぱいあるからだ。
ウクレレはチューニングがあんまりうまく合わない。ウクレレは音が小さい。ウクレレは4弦しかないので1オクターブちょっとしか音域が無い。ウクレレは胴が小さいから素材で音が千差万別。エレキウクレレハウリングしやすい。ウクレレは低音が出せない。ウクレレは音の伸びが悪い。ウクレレは弾き方がこじんまりしている、などなど、挙げたらキリが無いほど短所がいっぱいである。だからどんなジャンルを弾く時も、どんな素材のウクレレであっても、常にどこか物足りない。
何でも出来るけど何をやっても物足りない。ウクレレは器用貧乏な楽器なんである。
一般的に、器用貧乏な人間は損である。器用さで物事をすぐできるようになってしまう反面、向上するための努力ができない。結果、晩成しない。そして色んなことを中途半端に知っていると、一芸に秀でた人からは「知ったかぶり」に見えてしまう。結果、疎まれる。
ところがウクレレはというと、器用貧乏ゆえに愛されてる感じである。「ま、いいか、ウクレレだし」という感覚なのか、短所があるから愛されるのか。よくわからないけど、器用貧乏で嫌われているということは、無い。
ここで考えた。器用貧乏な人が損するのは、ただ「器用貧乏だから」という理由ではなく、他のパーソナリティに原因があるのではないだろうか。ウクレレの例を見ればわかるとおり、器用貧乏も見え方によっては得なのではないか?
そう考えて自分を励ますことにした、通称器用貧乏の私。