トリハダ・アンド・マイ・スウィート・ハニー

今は昔。
愛子内親王殿下御生誕の喜ばしき日、あろうことか私は鳥肌実の演説を聴くために代々木第二体育館にいた。
一緒に行ったのは当時私が所属していた「MiDE(マイド)」という寄り合い団体の仲間たちである。普段はコントビデオを作成したり会議室を借りて電気グルーヴのビデオを見たりといった活動を共にしていたのだが、そのうちの一人が「鳥肌親衛隊」隊員で、赤紙(演説ライブの案内パンフ)が届いたので演説に行かぬかという。皆鳥肌氏に興味があったため反対意見は無く、人数分のチケットを買った。それでいざ当日原宿に集合してみたら明治神宮の入り口に「愛子さまご誕生おめでとう」の大看板である。いやはやなんとも・・・私たちMiDEメンバーはコソコソしながら代々木体育館へ向かった。
さて、演説自体は盛況であった。鳥肌氏も愛子殿下ご生誕を喜んでおり終始上機嫌。一方で当時はアル・カーイダおよびアメリカが国際社会に暗い影を落としていた時期であり、氏の演説もその内容をふんだんに盛り込んで聴衆の心を掴んでいた。2時間ほどの演説は(途中でネタ切れのためぐでんぐでんになったけど)MiDEメンバー含め聴衆を満足させるのに十分な内容だったと思う。
さて、演説を聴いて興奮冷めやらぬMiDEメンバー。このまま帰るのは勿体無い、そういや腹も減ったし飯でも食おうかという話になり、何を勘違いしたのか夜の竹下通りに繰り出した。探したのは「安くておいしい和食屋」。当然あるはずもなく、さんざん彷徨った挙句にタイ料理屋みたいなところへ迷い込んだ。
演説の感想をボソリボソリと喋りつつ「グリーンカレースープスパゲティ」を食べた。タイとイタリアのデスマッチ、あまりおいしくなかった。
食事を終えた私たちは22半時ごろ原宿駅で解散、私は2時間半かけて当時住んでいたアパートへ帰った。
家では当時付き合っていたカージェという女性が私の帰りを待っていた。ただいまと言ったところなんだか反応が悪い。いつもならニコニコしてお帰りと言ってくれるのに、これはどうしたことだろう?色々質問してみるのだがどうにもダンマリを決め込んで返事してくれない。しまいにこちらも不機嫌になり声を荒げた。するとカージェは言う。貴方は今日都心で何か楽しいイベントを見てきたのね、しかも私をほったらかしにして、私の知らない人と一緒で、こんなに夜遅くまで、なんで誘ってくれなかったの?ひどいじゃないの、と。
はたはた困ってしまった。なんて弁解したら良いのだろう?そりゃ確かに一言も誘わなかったのは悪いし、遅くまで連絡しなかったのも良くなかったけど、で、でもなあ、鳥肌実だからなあ。
カージェの人と成りなのだが、まず好きなCDはディズニーのサントラ、好きな映画は白雪姫と人魚姫、月に一度は銀座三越で父親と一緒に買物を楽しみ、パスタは明治屋製しか口にしない社長令嬢である。平素、なんとか巻きタブ色に染めたいと思い、私はカージェにロックンロールを聞かせたり中島らもを読み聞かせたりしていた。しかしながらあまり効果はあがっていなかった。
そんなカージェに鳥肌実は刺激が強すぎる。しかも一緒に行くのは会議室で電気グルーヴを見て喜ぶような人たちである。こりゃどう考えても無理だよなあと思い誘わなかったのだ。
ところが今、カージェは鳥肌実を一緒に見に行けなかったことに対し怒っている。なぜ連れて行かなかったのか、そして何故こんなに帰りが遅くなったのかを説明しなくてはならない。だがそのためには、いかに鳥肌実がカージェの趣向にあわないかについてと、鳥肌実を見た後「このまま変えるのは勿体無い」と思って竹下通りで和食屋を探さずにはいられなかったメンタリティについて、理解してもらわなければならない。はっきり言って無理である。
当時素直に謝るということができなかった私は、物に当たって暴れた。カージェが泣きだした。ずっと一緒に暮らすのは無理かもしれない、枕にパンチを叩き込みながら、そんなことを思った。

鳥肌黙示録

鳥肌黙示録