ダウン・アット・ザ・ミューレン・テンプル

ドクター・ファーレスに会いに行った。
ドクターは新進気鋭の研究者で、研究対象の地域を理解するためなら言語を学び、そこへ数年住むことを厭わない在野の英傑である。私もハラブに遊学していた頃、大変お世話になった。イラク国境近くまでクルド人の街を一緒に訪ねたことは良い思い出である。その他にドクターとは「在ハラブ遠藤周作研究会」「ハラブ大学学内恋愛研究会」「ウクレレ初心者友の会」「ヤーセルおじさん研究会」「般若心経友の会」「政策過程分析研究会の研究会」「転ばずの会」「駅前商店街好きの会」などなど、様々な会でご一緒する機会に恵まれている。近くへ行く用事があったためご連絡差し上げたところ、忙しいにもかかわらず時間を作ってくださった。
数年前、ドクターも私もハラブにて同じ先生に現地の言葉を教わり、同じように現地の宗教に勧誘され、それぞれ悩んだ。悩んだ末にそれぞれで宗教書を読み漁り辿りついたのが仏教である。「唯一神じゃなくってやっぱり無だよねえ」「そうですよねえ点と線じゃなくって循環なんですよね」なんて明らかに危ない会話を弾ませて、眼に見えない世界への理解を互いに深めていったのだ。
今回久しぶりに話してみてわかった。ドクターは継続的な探求により、数年前は単なる関心に過ぎなかった「無」への興味を、自分自身の存在を確固(括弧)たらしめる核として内包するに至ったようである。もはや何人がユダヤ・キリスト・イスラームの流れを汲む唯一神信仰を説いたとしても、ドクターの心は湖面のごとく静かであろう。
かたや自分はどうであろうか。逃げるようにアカデミックな世界を離れ月給取りとなったことで唯一神信仰の誘いは少なくなった。だが同時に「無」への興味を自らの存在意義に昇華させる機会を失していたようである。反省。
いずれにせよ、やっぱり般若心経は良いなあと改めて思った次第。敬具。