ミサイルあべし駐車場 その2

ナマちゃんと同級生だった頃、女子にモテるための要素は「バスケ」と「ちょっと3枚目」だった。そして、俺はどちらの要素も兼ね備えていなかったのである。「である」ってそんな偉そうに言うことでもないんだけど。
まずバスケ。バスケットボール。スピードとテクニック、逆転に継ぐ逆転が見る人を魅了する青春の代名詞的なスポーツ。バスケばかりやっていた、あいつには負けたくなかった。かぁっくいいー。かっくいいなあ、できないなあ、クソッ!クソッ!クソッ!
何が嫌いって、反則に対するアドバンテージが極端にグレーなとこである。球ヲ保持シテイル、イナイニ関ワラズ、競技中ニ他ノ競技者トノ身体接触ハ、是ヲ反則トスルというのがルールのはずだというのに、実際はどうだ。バスケ部の連中ときたら積極的に手で抑えてくるわ、尻で押しっこくるわ、それでいて反則にならない。何故かと言えば「競技中ニオケル止ムヲ得ズノ身体接触ハ、攻守ノ趨勢ニ影響ヲ及ボサヌ限リニオイテ是ヲあどばんてえじトス」である。
ほほーそうか。じゃあ俺もちょっくら押してみようか、えいっ、ピー反則。なっ、なんでぇ。シュート中にちょっと当たっただけでしょ、しかも点入ってるし、えっ?さらにフリースロー?ちょっちょっちょっ、おかしいでしょう。えっおかしくないの?
アドバンテージと反則の区分けはグレーゾーンが広い。ある時は反則になり、ある時はならない。その「明文化されていないルール」の境界を読み取り、反則を取られないように身体接触を有効利用するのが「うまい選手」なのだという。なんだそりゃ、まるで「法律でダメといってないから合法なドラッグ」と同じ理屈じゃないか。いや、もっと言えば「反則は5秒以内に止めること」というルールを「5秒間なら反則してもいい」と解釈して毒霧を吹くグレート・ムタと同じじゃないか。しかもあのフリースローのルール。シュートの邪魔をしたら点が入っても更にフリースローって、圧倒的に攻め手有利。グレーゾーンで有利な状況を作って、結果を盾にルール違反を正当化し、攻め手に有利なルール作りをする。全く、さすがアメリカ人のスポーツですよ。
そんなことを思っていたので、ジョーダンのスーパープレーやバークレーの執念、沢山のNBA選手達の素晴らしいプレー、生き方を全く見ていなかった。阿呆である。
閑話休題、要はバスケが下手だったのである。
さて「ちょっと3枚目」これについては、このブログ読んでいらっしゃる方々には説明不要でしょう。ここ読んで「さわやか」とか「明るく楽しく」なんて言葉を想起する方がいたら、多分ソシュールもびっくりのアナグラムを製作したり、阿字観を超える冥想手法を提案できるはずです。それはとにかく、である。あの頃のテーマは「どうやったら俺は『裸の大将』の2代目になれるか」であり「阪神タイガース優勝のシナリオ」であり「VOW物件検索」であり「どうして三沢光晴は16文キックに吸い込まれていくのか」であり「北斗の拳の世界は本当にやってくるのか」であり「エロ本落ちていないかなあ」であった。こんなことでは「ちょっと2枚目」どころか、麒麟が逆立ちしたって3枚目にもなりゃしない。
かくいうわけで「バスケ」にも「ちょっと2枚目」にも縁が無かった俺は、猛烈に勉強した。勉強して勉強して勉強し、気が付いたら両親のスネを膝頭まで齧り倒し、それでもなお飽き足らず、ケンタッキーフライドチキンを食い終えたときのごとく膝関節の軟骨をしゃぶり毟り取り、奥歯でコリコリやりながら「神は存在するのか」と悩みつづけた学生時代を経て、その結果、貯金するサラリーマンになったのである。そしてこの「貯金」を武器に俺は巨乳のナマちゃんと結婚の約束をとりつけた。フッ、ざまあみやがれバスケ野郎。面が見たいぜ2.5枚目め。
貯金貯金貯金!金の勝利!世の中カネ!べろんべろんとボインボインに酔った俺はもう有頂天だった。このままナマちゃんに抱きつこうかとも思ったが、そこはもう分別のある大人、公衆ノ面前デノ性行為ハ是ヲ公然猥褻罪トスル、というルールにグレーゾーンなく則りニヤニヤした。
日が変わる頃同窓会はお開きとなった。駐車場が閉鎖されてしまったので代行で買えることができない。くそう、代行で帰れば、貯金があるっぷりを証明できたのに、くそう。酒を一切飲まずにいてくれた関ゲルが悶々さんと一緒に送っていってくれるという。関ゲルありがとう、じゃあ帰ろうか。すると横からあべし氏、やや申しわけないという顔をして「巻きりゃん、関ゲルの車に乗せてもらっていいかなあ」関ゲルいいかい?そうかいいいかいありがとう関ゲル。じゃああべしちゃん行こうか、え?ちょっと用事がある?わかったじゃあ関ゲルと悶々さんと俺は駐車場行くから、コンビニのとこで待ち合わせね。ほじゃお先。俺はナマちゃんにもう一度貯金があることを告げ、結婚を念押しして店を出た。
人間は酔うと理性を司る脳皮質が麻痺し、情動的行動をとりやすくなるという。今、俺はコンビニの前でひたすら「きょにゅう、きょにゅう」と考えている。ナマちゃんに軽くあしらわれたことも、周りの女子がドン引きだったことも頭には無い。いや、もはやナマちゃんは対象ではなく、俺の思索の対象になっているのは巨乳、もっと正確に言えば「きょにゅう」という言葉そのもの、字面、音感、イントネーション、「にゅ」という響き、そんなものに対して感覚が集中している。もはや「きょにゅう」という言葉は意味を成していない。情動的であるところの「チチ揉みたい」という願望が「きょにゅう」という響きによって、俺の意識の中の意味空間から排除されているのだ。つまり今俺は、ひたすら言葉の響きだけに圧倒される場所に来ている。不思議である、元々理性の産物であるはずの言葉なのに、理性を排除した後の方が圧倒的な存在感で迫ってくるとは。と思いつつ、コンビニのエロ本を数秒間で確認。「きょにゅう」は一気に「巨乳」になり、またナマちゃんと貯金のことを思い出した。
あべし氏がやって来た。さあ帰ろう。

「ちょっとガソリン入れるわ。その後、ドライブして帰ろうか」
関ゲルが言った。皆賛成だった。久しぶりに会ったんだ、もう少し一緒にいようよ。
ここからが、本番だった。
(つづく)